カテゴリ:永作先生からの手紙( 536 )

因縁《カルマ》


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ニュースを見て、愕然とした。
若者であろうが、動画を投稿する目的で通行人を車で威嚇し、喜んで居るのである。
これは、後に大変なカルマに成って本人達に返って来ます!
どんなカルマが来るか、私には解って居るが書きません。

尋常では無い事だけは確かである。
本人達は、軽い気持ちで犯した事が、その後の人生を大きく変えるとは思って居ないであろう。
ただ、車で通行人を脅しただけと。


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しかし、これが取り返しの付かない事故に成って居たら、殺人である。
時として、イタズラがとんでもない事態を引き起こす事を知って置いて貰いたい。

殺人を犯し、逃げる為に自殺するケースが多発して居るが、罪を逃れようと自殺しても決して逃げる事など出来無いのである。
罪を犯し、自殺に逃げた犯人の末路を書きたいが、余りにも悲惨過ぎるので差し控えます。

カルマとは因縁。
良いカルマは徳として預金され、悪のカルマは借金と成る。

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此の摂理を學び、真剣に捉えて居ればわかるはずである。
罪とは、重ね重ねれば、最後に待つものは哀れな結末である。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

イタズラという名前の犯罪が起きる原因。
そして、死ねばすべてから逃れられるという思い込み。

これらに共通しているのは、「想像力の欠如」と「物質的価値観」であると私は思います。
善行も悪行も、積み重なるのです。
決して途中でうやむやにはなりません。
いま風に言うならば、きちんとカウントされています。

それは行動に現れ、言葉に現れ、態度に現れ、姿に現れます。
そして霊的に見るとき、それは魂に記録されるのでしょう。

マザーテレサは言っています。
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まさに霊的真理であると思います。

感謝合掌

後藤慈優




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by jiyuu-fudou | 2017-05-29 06:00 | 永作先生からの手紙

負の感情


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人間は、自身が持つ感情に依り、自身を苦しめ、追い詰めてしまう事があります。
それが、負の感情である。

負の感情は誰にでも訪れますが、案外自身の中で消化して仕舞うので大事には至らないのです。
が、消化出来無い場合、精神を病む事も少なくありません《負の感情》

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負の感情は持た無い事が最良であるが、様々な状況の中で負の感情を抱いて仕舞うのも事実である。

昨今は人間関係が希薄であり、複雑化し、様々な問題が浮上して居る。
この現状を視るにつけ、考えさせられるのも事実である。

だからと云って、あなたが負の感情に支配され、大切な人生を誤った方向に進んでは勿体無いと考えます。

あなたの人生は、生まれる前からあなたが決めて来た階段なのです。
然し乍ら、その階段も他からの影響を受けて変わる事もあります。


諦観(ていかん)
( 名 ) スル
①全体を見通して、事の本質を見きわめること。 「時代を-する」
②悟りあきらめること。超然とした態度をとること。
大辞林 第三版の解説より

そんな時は、潔く手放す事も勇気なのです。
手放せずに涙し、精神までも病んで仕舞えば、正に元も子もないのです。

負の感情に支配される前に、手放す勇気が必要であり、手放した事に悩む必要もありません。

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最後に楽しい言葉を贈ります。
《忘れ上手は、生き上手》

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

物事に執着するとき、そこにあるのはどんな感情でしょうか?
私なりに考察してみました。

それは、自分と状況、あるいは自分と他者とを勝ち負けで捉えているときではないかという、ひとつの結論が見えてきました。

『ここまで頑張ったのに負けるわけにはいかない』
『あの人ばかりいい思いをして許せない』
『自分の方が尽くしているのに認められない』

自分の方が~している。
という自分優位の考え。

そして、~している「のに」という相手に恩を着せている意識。

自分が×のに=腹が立つ

この二つが掛け合わさると、相手が敗北するまで、服従するまで攻撃の手が止むことはありません。
屈服させるという本懐を遂げることが目的になり、その焦燥感が自分を追い詰めて苦しめます。

しかし、自分で自分の首を絞めていながら、その苦しみは相手や状況が与えていると錯覚します。
ですから、いつまでも不快感や怒りの感情が鎮火することはありません。
この状況を「不幸」と呼ぶことが出来るなら、まさに「不幸」の渦中にあると言えるでしょう。

これを解消する手段は
・相手を消す
・自分を消す
・八つ当たりする
・諦める

といくつか選択肢が考えられます。

上の3つの手段を選択すると、大切な自分の人生を負の感情に支配されて道を誤ることになります。
そこで、仏教的におすすめするのが「諦める」もしくは「手放す」という選択肢です。

諦観という言葉があります。
上にも注釈を入れておりますが、諦観とは「全体を見通して、事の本質を見きわめること」です。
決して、不貞腐れて放り出したり、いらいらしながら無かったことにする事ではありません。

忘れるために、別れるために、手放すために、本質を見極めることが求められます。
つまりは、そこに今一度焦点を当て、分析するのです。
原因と結果が見えてくるまでは、様々な葛藤があり、面白くない感情の波にさらわれたリ、自暴自棄になりそうになることもあるでしょう。
良かれと思って差し伸べられた好意の手にかみついたり、振り払ったり、無用な争いを起こしたりすることがあるかもしれません。
それは通過儀礼です。

あなたが忘れられるようになるためには、その通過儀礼が必要なのかもしれません。

頭と気持ち、場合によっては人間関係が整理された頃には、「手放す」とは、どのようなことなのか体感できるはずです。

人はこうやって、ぶつかったり転んだりしながら少しずつ大人の階段を登っていきます。
それは他人と比べて、早い遅いを競ったり、劣等感や優越感に溺れることでもありません。

感謝合掌
後藤慈優




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by jiyuu-fudou | 2017-05-28 06:00 | 永作先生からの手紙

闇の兆候

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闇は、自分で作り上げて居る場合が多々あります。

満足、不満足、欲しい、得られない、愛しても、愛してくれない、やったのに、やってくれない、わかってくれない。
全て、同じ意識から発し、自らを苦しめて居るのである。

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また、価値観の麻痺も、以上の意識低下を招く要因である。
例えば、一カ月の生活費が三十万円で満足して居た人が、稼げる様に成り、やがて百万円を軽く考えて行く過程と同じである。

ある意味《溺れた者》哀れである。
永遠な物が無い様に、永遠な繁栄も無いのである。

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常に初心を忘れず《貧しい頃》物事に対する時、あなたは最良の選択が出来るはずである。
選択を自らが誤った時は、素直に誤りを認め、悲観せず、新たな道を模索する事である。

【六根】
仏語。感覚や意識を生じ、またそれによって迷いを起こさせる原因となる六つの器官。
眼(げん)・耳(に)・鼻・舌・身・意をいう。
デジタル大辞泉の解説

六根は人間の認識の根幹である。
それが我欲などの執着にまみれていては、正しい道(八正道)を往くことはかなわない。
そのため執着を断ち、心を清らかな状態にすることを言う。
そのため不浄なものを見ない、聞かない、嗅がない、味わわない、触れない、感じないために俗世との接触を絶つことが行なわれた(山ごもりなど)。
「六根浄」ともいう。
Wikipediaより

また、模索できる理性と叡智を身につける為に、現在を學ぶ時、其処にあるのが御仏の慈悲である。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

私は仏門に入る前、古神道の修行をしていました。
そこで出会った祝詞に「六根清浄」があります。
今でも一番好きな祝詞と言ったら、この六根清浄です。
般若心経の祝詞版のようなイメージで、私の中には納まっています。

眼・耳・鼻・舌・身・意のそれぞれは本来清らかなものであるが、それによって迷いが生じるとき、そこには執着がある。

だから、自分の六根に何かが触れたとき、穢れ(執着)を持ち込まないようにしよう。
そうすることで、理性と魂は清く澄んでくる。
多くの現象は影や映像のようで、実態はないのだから。
清いのだから穢れはない。

清い状態とは、何も持たず、何にも執着をしない状態ではないかと私は捉えています。

そこに立ち戻ることが、師僧の仰る「初心」にかえって反省すること(俯瞰すること)ではないでしょうか。
山ごもりして一切の外的刺激を断てるのならある意味出来そうですが、この俗世にあって清く自分を保つことこそ、最高の修行であると私は考えます。

感謝合掌
後藤慈優




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by jiyuu-fudou | 2017-05-27 06:00 | 永作先生からの手紙

病い


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肉体的病い、精神的病い。
人間と生まれ、病い《病気》を経験した事が無い人は居ないでしょう。

子供の頃、風邪をひいて、熱、咳、鼻水を流し床に伏した時、優しい母の手が差し伸べられ、気づいたら元気だった。という経験は皆さんお持ちだと思います。
其処から學んだ事は母の愛であり、優しさ、痛み、苦しさ、全て愛の學びなのです。

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看病する者、看病される者、それぞれの違いがあっても、愛を學ぶ場を与えられたのである。
自身の痛みを知る事に依り、他人の痛みを知る事にも繋がります。

痛みを知らず、痛みを理解せず、ただ生きる者に、愛を理解する事は出来無い。
経験は學び、実経験は學びを深くします。

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愛別離苦。
愛する者との別れは、愛を知った者には逃れられ無い事象であるが、愛を理解する事に依って學びと変わるのである。

八苦とは…

仏語。人間の八つの苦しみ。
生・老・病・死の四苦に、
愛別離苦(あいべつりく)愛する者と別れる苦しみ。
怨憎会苦 (おんぞうえく) うらみ憎む相手に会う苦しみ。
求不得苦 (ぐふとくく) 求めているものが得られないことから生じる苦しみ。
五陰盛苦 (ごおんじょうく)五陰から生じる心身の苦悩。
 を加えたもの。


失う事は辛い。
失う事は苦しい。
しかし、辛い苦しいの境涯を持ち続ける時、辛い苦しいは執着に変わり、自身を苦しめ続けます。

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愛を悟り、本当の愛を実践する時、あなたは一人では無い事を知るのです。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

小学生の頃、クラスに2人ほど「お母さんが病弱」な子がいました。
一人は私の親友で、もう一人が私でした。

よその家庭を見回してみると、どうやら他の家においては、母親は元気なものらしい…と知ったあの日の衝撃。
しかし、何度も病に倒れ、入院したリ、手術したりしながらも、母は懸命に働き私たちを育ててくれました。

親友は、子どもの頃からとても気が利いて優しく、非常に大人びた性格でした。

自分の事だけでも手一杯だっただろう小学生の頃から、自分が大変な時でも周りを気遣う配慮の出来る子でした。
それは、単に母親の世話をしていたからではなく、彼女自身がお母さんから沢山の愛情を受けて育っていたからだと思います。

自分が与えてもらったものを、与えてくれた母親に同じように返す。
そして、その思いやりや優しさは、今度は友達へ注がれていました。

今思うと、私は友達のお母さんの愛情を友達を通して頂いていたようにも感じます。

ひとりの人間を世の中に送り出すというのは、本当に尊くて大きな仕事だと、今にして実感します。
愛や真心、思いやり、いたわりの気持ちは循環します。

たとえ子供時代が辛く悲しく、報われることはなかったとしても。
妬んだりいじけたりすることで心の瘡蓋を剥がし、ひりひりしながら生きる実感を得る必要はありません。
人を恨んだり羨んだりする負のループから抜け出せたとき、温かい輪の中にいつからでも入ってゆくことが出来るのです。

母からうまれた私たちは、ひとりひとりが既に愛の実践者です。


感謝合掌
後藤慈優


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by jiyuu-fudou | 2017-05-25 06:00 | 永作先生からの手紙

欲望

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人間は様々な歴史を重ねて来たが、未だ解決出来無い問題を抱えて居る。
自らの保身と欲望の為にミサイルを発射したり、他国を威圧したり、欲望にまみれた餓鬼そのものである。

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やがて、その欲望が他国を巻き込んだ時、どんな事態が起こるか、皆さんは想像した事がお有りでしょうか?
とどまるところを知ら無い欲望と云う闇は、私達に脅威と成り、覆い被さる様に迫りつつある。

欲望は私達の中にも存在しますが、自身を律する事で解決します。
しかし、巨大な力《権力》を有した時、元々、餓鬼畜生の素量を前面に押し出した時、人間は人間では居られないのである。

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欲望は、大なり小なり誰にでもある。
昨今、日本の犯罪も欲にまみれた結果、重大犯罪に結び付いて居ます。

今必要なのは、一人一人が自らに置き換えて考える時では無いでしょうか。

最早、対岸の火事を眺めるが如し。では無い事を自覚し、自分の出来る努力が必要だと考えます。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

人間が生きていくためには、様々な欲求を充足させる必要があります。


マズローの欲求5段階説
人間の欲求は5段階のピラミッドのように構成されていて、低階層の欲求が満たされると、より高次の階層の欲求を欲するとされる。

第一階層:「生理的欲求」:生きていくための基本的・本能的な欲求(食べたい、飲みたい、寝たいなど)。

第二階層:「安全欲求」:危機を回避したい、安全・安心な暮らしがしたい(雨風をしのぐ家・健康など)という欲求。

第三階層:「社会的欲求(帰属欲求)」(集団に属したり、仲間が欲しくなったり)を求める。
この欲求が満たされない時、人は孤独感や社会的不安を感じやすくなる。

第四階層:「尊厳欲求(承認欲求)」(他者から認められたい、尊敬されたい)。

第五階層:「自己実現欲求」(自分の能力を引き出し創造的活動がしたいなど)が生まれる。


※マズローは晩年、5段階の欲求階層の上に、さらにもう一つの「自己超越」という段階があると発表した。
「目的の遂行・達成『だけ』を純粋に求める」という領域で、見返りも求めずエゴもなく、自我を忘れてただ目的のみに没頭し、何かの課題や使命、職業や大切な仕事に貢献している状態だという。



しかし、自身の欲求に歯止めが利かなくなると、それは生きていくために必要不可欠で充足が求められる以上の衝動→欲望へと姿を変えます。
その欲望は、自分が満たされることを最優先するという形で明らかにされます。

◎◎優先。◎◎ファーストといった表現が出てきたときには、よくよく注視する必要があると考えます。
自分さえ良ければ、他が犠牲になっても問題はない。構わない。
犠牲になることも運命であり、その立場の者の自己責任である。
等という詭弁がまかり通ることもあります。

思考の暴力は、必ずいつか堰を切って行為の暴力となり、行為の暴力は異様な高揚感を伴い(自己弁護や正当化・問題のすり替えを行いながら)力を増して巨大化します。

波長の法則という言葉があります。
世の中がある一定の危うい方向へ雪崩を打って傾いていくとき、そこには必ず戦略的に糸を引くものの存在があります。
また、人々にそれを気付かせないため、ダミーの事件や注目させる出来事も仕掛けられています。

學ぶという事は、世の中のからくりについての知識を蓄えることでもあります。
また人間の行動心理・集団心理・世の理については、経典や仏教の教えからその法則を知ることも出来ます。

お経は葬式の厳粛な雰囲気を醸し出す為のBGMではありません。
人の心の愚かさや、反対にどのように向上していくかを教えてくれる人生の教科書です。

よく見知ったお経であっても、何かのきっかけでもう一度その意味を読むとき、あなたの今の心の在り方に沿った答えがきっと見つかるでしょう。

心のひだを増やす為にも、學んでみてはいかがでしょうか。

感謝合掌
後藤慈優




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by jiyuu-fudou | 2017-05-24 06:00 | 永作先生からの手紙

生きる目的

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人は、それぞれに生きる目的を持って生まれて来たのです。
しかし、やがて世俗の垢にまみれ、本来の目的から逸脱し、ある者は物質的価値観に身を委ね、ある者は真理を求め探求の山に登る。

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人の一生とは、長い坂をある時は上り、ある時は下り、やがて自身の生きる目的に氣づくのです。
大切なのは、自身の目的に氣づいた時、素直に自身を認め、學ぶ事である。

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諸行無常、形あるものは何時かは滅し、永遠に残る物など無いと知り、自らを律して真理を學ぶ時、光明が照らされ、自身の道に氣づきます。

人間は、長短の違いはあれど、何時かは帰幽する日が訪れます。
その時に、自身に恥じぬ生き方こそ、後悔し無い生き方では無いでしょうか。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

生きる目的を持つためには、何をしたらいいのでしょうか?

それは自分の人生の残り時間を意識することがスタートのような気がします。


こんなことを想うようになったのは、親が高齢になり、自分もまた人生の秋を迎えたからに他なりません。

花鳥風月を好むようになったら、年寄りだ。と笑う人がいます。


それはきっと、生きとし生けるすべてのものには寿命があることを、わが身に引き寄せて考えることが出来るようになったからですよね。

だからこそ、年を重ねても思いやりのない人は、他人からの敬意を受けることが出来ません。

そして、自分自身をいつくしむことも出来ないので、周囲との調和がはかれようはずがないのです。


後悔しない生き方のカギとは、調和にあると私は考えます。


感謝合掌

後藤慈優




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by jiyuu-fudou | 2017-05-23 06:00 | 永作先生からの手紙

心の疲れ

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人間の性格《性質》は様々ですが、今日は一点に絞り、お話しをさせていただきます。
精神的な病いで苦しんで居られる方も少なくない昨今、他には言えず一人で悩み、苦しみの渦中に居られる方に今日の記事を送ります。

心の疲れは、ある日突然やって来た様に思いがちですが、憑依を除けば真面目過ぎたのです。
『ここまではやろう』ならまだ良いのですが、『ここまでは絶対にやる』は、やがて自身を『やる』が絞り上げてしまうのです。

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人間は生身。
過度の疲労が蓄積する時、精神と肉体の均衡が保てない状態になり、ネガティヴ思考に捉われる様になります。

ほどほどの心。
頑張り過ぎず、さりとて怠けるでも無く、自身の環境と状況を精査して物事を進める時、ほどほどの心を捉え理解出来るであろう。

ほどほどの心は、決して自分に甘いのでは無い。
自身の限界を知り、理性的な自分を確立する為である。

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中庸
( 名 ・形動 ) [文] ナリ 
考え方・行動などが一つの立場に偏らず中正であること。
過不足がなく、極端に走らないこと。また、そのさま。
古来、洋の東西を問わず、重要な人間の徳目の一とされた。中道。
「 -を得る」 「 -にして過甚ならず/西国立志編 正直」
大辞林 第三版の解説より

古い諺に、『過ぎたるは及ばざるが如し』とある様に、何事も度が過ぎれば益にはならないと言う教えである。

肉体と魂の理を知り、生きる時、あなたは真の調和に氣づくことでしょう。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌

金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


勤勉。正確。完璧主義。責任感。信頼。実績。実行力。結果を出す。徹底的にやる。脇をしめて物事に当たる。任せて安心。
…尊敬に値する行為への称賛の言葉や、その行為に対する形容に用いられる言葉を挙げてみました。

私は脇が甘く、いい加減な怠け者ですので、入門以来ずっと師僧から叱咤され続けておりますm(__)m
ですから、自分の反対の性格の人に対して『敵わないなぁ』と尊敬し、シャッポを脱ぎ、下駄を預けてしまいます(表現がとても古めかしい…)

そのため、自分の几帳面さが仇となって心を病むことはなかったと言えます。
しかし、師僧の原稿を拝読し、世の中には自分自身に対して「これで良し」と言ってあげられない人が沢山いる。
そしてその生真面目ゆえに自分を追い込んでしまうことがある。

という事に気付かされました。
私が気づいていないだけで、几帳面な人はずっと前から私のようなタイプの人間に対して、怒りや憤りや諦め、そして更に進むと、自分がストレスを感じなくて済むように、いい加減でがさつな人間の仕事を肩代わりすることを受け入れていたのだと思います。

本当に申し訳なく、身が細る思いです。


生真面目な方は、自分に対する期待も信頼度も高いのだと私は思います。
だからこそ、「自分はこんなものではない。もっとできるはずだ」という心意気で、自らが決めた目標に是が非でも到達しようと努めるのでしょう。

私はいま、千日行の他に虚空蔵菩薩さまの行にも入っています。
私は他に様々な仏さまを拝んでいるので、虚空蔵さまは1日3000回唱える。とマックスを定めています。

しかし連続●日で成満する。というゴール設定ではないので、3000回できない日があっても仕方ない。
その代わり、予備日で調整しよう…と自分の目標にゆるみを持たせています。
在家だからこその甘えた行法である!
と指摘されればそれまでなのですが…私の考えは「走り切る」ことであって、日割り目標を貫徹することではないので罪悪感はありません。

行法に限らず言えば、「危機管理」とは、~できることが基本合意だが、できない時にはどうするか。
できなかった時の結果を、どのように後日回収・挽回するか。
他から援助が受けられるのか。
可能であれば、どこに連絡して調整するのか。

という選択肢を予め用意しておくものだと思います。
(行に入る前に懐に短刀を忍ばせるような考え方は、日常ではオススメできません…そういう世界にいるので余計にそう思います)

大切な自分の人生。自分の心。
護れるのは自分自身なのですから。

感謝合掌
後藤慈優


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by jiyuu-fudou | 2017-05-22 06:00 | 永作先生からの手紙

豊かに生きる

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あなたにとって豊かさとは?
物質的豊かさには、限界が必ず訪れます。

例えば、使い切れないほどの富を得た時、あなたなら何をしますか?
好きなものを買い、贅沢に暮らしますか。

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私がまだ、青年僧侶だった頃にこんな経験をしました。
以下は、その時のお話です。

ある施設《孤児院》で私は紙芝居を使い、子供達に御仏の話しをやさしく、楽しく教えて居りました。
子供達は私の事を一休さんのおじさんと呼んでくれて、紙芝居を楽しみにしてくれました。

そんなある日、園長先生からある事実を伺い、紙芝居の内容を変えました《極楽浄土に関して》
まだ幼い六歳の子が小児癌に冒され、近々入院するとお聞きしたからであります。

私とその子は特に親しく、私は我が子の様に想っていたので、何も出来ない自分を恥ました。

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それから、入院したその子の病室に毎日のように通い、話しをしました。
小児癌は成人の癌より進行が早く、最後の日を迎えました。

私は付き添い、優しく話しました。
何も怖く無いよ。
明るい光が見えたら、その光は仏様の光。
暖かく優しい仏様が迎えに来てくれたのだから、安心しなさいと。

すると、眼を閉じて、光が見えた温かいよ〜。と言って息を引き取りました。

生まれて来てから、何一つ良い事を味わうこと無く行ってしまったあの子を思い出す時、私は次の事を考えます。

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何故生まれ、何故生きるか。

この命題を長年、考え追い求め學んで来ました。

そして、全ての答えは、學び生きる事にあると知りました。

私も歳を重ね、先に行った人達に逢える日がやって来ます。
その日を楽しみに、學びの日を過ごして居ります。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

師僧はいつも『霊界にもって帰ることが出来るのは経験と感動だけ』と言っています。

持って帰りたいと思えるうよな充実した経験や、それにともなう感動をひとつでも多く積み重ねること。


それを意識して生きることが、即ち「込めて生きる」に繋がると信じ、日々を過ごしております。


赤不動明王院の門人となってから、何人かの方へ病気平癒の祈祷をさせて頂き、霊界に旅立たれた後も四十九日まで御祈りさせて頂きました。

その祈り方の詳細)をここで書くことが出来ないのですが、(詳細をお知りになりたい方は密教塾にお入りください)祈り初めの頃には自分の身体が重たく感じていたのに、節目の日が近づくにつれて、段々軽くなっていくことを何度も経験しました。


そして祈りの中で、お亡くなりになった方が死を自覚され、気持ちを切り替えられて少しずつ明るい表情になっていかれる様子も、見せて頂きました。

とても得難い経験です。


直接お目に掛かったことのない方に対する御祈りが殆どでしたが、「きっと生前、ご病気になる前はこんな感じの方だったのだろうな」というイキイキとしたご様子を見せて頂いたのです。


私は祈りを通して、生きているときと霊界に戻られてから。二つの世界を輪のように繋ぐお手伝いをさせて頂いたと感じました。

そしてその輪の中に、瞬間ではあっても入れて頂けたことに感謝しています。

その経験を通して、誰の人生もまた祝福されたものであり、尊い唯一無二のものだと教わった気が致します。


私は生と死を別個のものではなく、一つながりの円として感じています。

生と死が円であるならば、一個の人間の存在もまた円。

自分という存在をどんな円にするかは、自己選択です。


慈しみや思いやり、探求心、学び、そういったものが沢山詰まった円となるよう、自らを育てながら霊界に帰る日を待ちたいと思うようになりました。


おかげさまでありがとうございます。


感謝合掌

後藤慈優



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by jiyuu-fudou | 2017-05-21 06:00 | 永作先生からの手紙

勧進のお願い(追記あり)

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院主より、勧進のお願いを致します。
このたび、赤不動明王院では、ご本尊さまである赤不動明王尊の尊剣、並び護摩壇法具を謹製させて頂く運びとなりました。
不動尊剣は刃渡り80cm、全長1mを越える豪剣であります。
法具は、輪宝・羯磨・蓮華台であります。

皆様の御暑意を賜われば幸いであります。
これはお願いであり、決して強制ではございません。

ご寄進くださったみなさま方へは、宝剣にて特別祈祷をさせて頂く所存でございます。
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


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参考資料:赤不動明王院 御霊刀
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参考資料:赤不動明王院 御霊刀
当院では、護り刀のお授けも致して居ります。

当院目録
三鈷剣、三振り《真剣》
摩利支天刀、一振り《真剣》
不動明王刀、一振り《真剣》
摩利支天刀、一振り《短剣、真剣》
懐剣、二振り《真剣》
鬼切丸、一振り《真剣》
大刀、一振り《真剣》
その他、護り刀《真剣》
を所属して居ります。

もちろん、銃刀法許可も受けて居ります。

長年、武術の世界にも生きて居りますので、武具、刀剣の鑑定も生業として居ります。
ご希望の方は、お申し出ください。

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赤不動明王院所蔵:摩利支天尊剣

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赤不動明王院所蔵:鬼切丸


ご霊刀についてのお問合せ・お申込みにつきましては下記をご覧ください。

お問合わせ・お申込みに際しての必須項目

・お名前(フルネームで)
・生年月日
・ご住所
・電話番号

以上の項目を必ずご記入の上、院主永作優三輝名義のメールアドレスへお問い合わせください。
koya1234@i.softbank.jp 

※ご寄進頂いた方で、ご希望の方へは大願成就のお札とお守りをお分けさせて頂きます。
お申込みのご連絡は後藤慈優までお願い致します。
rapport_mana@yahoo.co.jp



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by jiyuu-fudou | 2017-05-20 08:00 | 永作先生からの手紙

破局

例えば、仲の良い夫婦《カップル》が些細な事で破局を迎える事が多々ありますが、これは愛の電池切れが原因である。
人は、極度な疲労や心労に襲われた場合、思いやりの心に亀裂が生じ、優しさを失う場合があります。
それを許容できれば問題は生じ無いのですが、多くの場合衝突してしまう様である。

愛には充電が不可欠である、と私は考えます。
充電法は様々に存在しますが、根底をしめるのは、愛情、理性、思いやりである。

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愛情の裏返しは無関心であり、無関心に陥ってしまった場合は、潔ぎよく手放す事をお勧めします。
手放さず、執着の海に迷う時、執着はやがて憎悪に発展するケースがあります。

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孤独に生きるのでは無く、孤高に生きる事は、自身の尊厳を護る最良の選択と考えます。
但し、孤高に生きるには、かなりの覚悟が必要である事を忘れてはならない。
あらゆる事に、一人で対処していかなくてはならないのです。

別離を選択する前に自身を振り返り、冷静に、また理性的に考え反省する必要があります。

利己的に自身の保身に走る場合、後から来るのは後悔の二文字である。
手放す勇気は、保身では無く學びである。
尊厳とは、甘えからは発するものでは無い。

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しあわせは、自らが築くもの。
与えられるのを待つものではありません。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

私は仏門に入ってから、めっきり恋愛に縁遠くなったと思われ(事実恋愛禁止でした)、恋愛関係の話や相談は私には入ってこなくなりました。

が、たまにまかり間違って?お話を聞かせて頂くことがあります。
そんなときにわたしはいつも言います。
『無償の愛というものはありますが、無限の愛はありません』
遣ったら枯渇するんです、愛や思いやりは。

あの人は何を言っても怒らないから。
あいつは何だかんだ、結局最後は許してくれるんだ。

そんな風にうまくいっている自慢?をしていた男性や女性の知人ほど、あっけなく別れることが多いような気がします。
相手の好意を搾取しているからではないでしょうか。

自分のことを愛しているなら、これくらい受け入れてくれて当然。
そんな風に相手の優しさや忍耐強さの上に胡坐をかいた結果なのかもしれません。

これまで誰の世話にもならずに生まれて大人になった人はいません。
自分が自覚しているいないは別として、数えきれないほどの人に愛され、許され、譲られて今があります。
思いやりを他人に強要するだけでなく、与えることから始めることが真の大人への一歩だと私は思います。

相手がしてくれたのと同じことするのが、愛とは限りません。
相手が2愛してくれたら、3返すのが正解とも限りません。

愛の関係のバランスは、人それぞれ。
他人と比較して羨んだり、落ち込んだり、相手に求めすぎたりするものではないような気がします。

自分たちの間の法則を見つけるのは楽ではありませんが、折衷していく努力の中にこそ幸せの種は芽吹くのではないでしょうか。

感謝合掌
後藤慈優




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by jiyuu-fudou | 2017-05-20 06:00 | 永作先生からの手紙

金剛山赤不動明王院 後藤慈優~2015.3.03真澄心理開発研究所を立ち上げました。


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