心は時々曇るものだから…

仏門に入ってから覚えた言葉のひとつに「放念」があります。

日常会話的に翻訳すると、それは「執着を手放す」が近いかもしれません。

あの人にこんなことをされた。許せない。
あの人がこんなことを言った。忘れられない。
あの人ばかり得を(楽)をしている。痛い目にあえばいい。
あの人の取った行動には腹が立つ。同じ目に遭わせてやる。

人間ですから、出来事に対してそんな感情が生まれることをやめることは出来ないかもしれません。

脊髄反射的に怒りがこみあげてきて、荒い言葉を吐き捨てたり、ものに当たったりすることもあるかもしれません。

しかし、それらの怒りを、いつまでもいつまでもいつまでも自分の中に持ち続けているとき、そこに生まれるのは「自分の愚かさ」と「過ちを犯しかねない心の闇」です。

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なぜなら、人の心が過去にとらわれているとき、進む未来には負荷がかかっているからです。
軽やかに飛ぶことなど叶いません。

飛ぼうとすれば必ず、錘が「むさぼり・怒り・不平不満」の谷へあなたを吸引してしまうから。

そこには自分は正しく、他人は(周囲は)すべて間違っているから罰しなくてはならない。自分だけが良ければいい。という身勝手の炎が燃え盛り、あなたを焼き尽くすのです。

のちうち回る中で見える景色は、一体どんなものでしょう。

次なる怒りと被害者意識を募らせて、ゆがむ世界は美しいものでしょうか。

全ては自分に返る。とは、そういうものなのではないかな…と思う私です。

感謝合掌
後藤慈優

あなたの心の窓拭きにお役立ていただければ幸いです。




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by jiyuu-fudou | 2017-04-28 09:00 | 慈優からの手紙

金剛山赤不動明王院 後藤慈優~2015.3.03真澄心理開発研究所を立ち上げました。


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