悪を楽しむ心

悪を楽しむ心は、なぜ生まれるのでしょうか。
そのことを最近特に考えるようになりました。
しかし、簡単に答えが出るものではありません。

自分が認められている、受け入れられている、大切にされている。
そう思える人は、人が苦しむさまを楽しみたいと思うでしょうか。

自分の意思がしっかりとあり、自分の軸がある人が、いつもいつも他人の存在をマイナスに意識するでしょうか。
「あいつが目障りだ」「あの人さえいなければ」「あの人のせいで私は不幸だ」等など。



もちろん、生きていれば、自分の弱点、プライドを傷つけられることもあり、こちらが望まなくてもマウンティングされたり、比較されて嫌な思いをする事もあります。
先入観で決めつけられて腹が立つこともあります。

けれど、それをいつまでも根に持ったリ、復讐を楽しんだりする人はわずかなように思います。

嫌なことはすぐに手放す(放念する)、気持ちを切り替える(そこに意識の焦点を当て続けない)、自分で自分の機嫌を良くすることを選択する(好きな音楽を聞いたり、友達と遊んだり、本を読んだり、お風呂にゆっくり入ったり)、など、自分を取り戻し、状況に流されない工夫をするのが、一般的な大人のたしなみではないかと思います。

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悪意を持ち続け、執念深くいつまでも特定の誰かを付け狙い、追い詰める行動には「他人を使った憂さ晴らし」という、卑怯さや姑息さが見えます。
自分が満たされない要因を他人に責任転嫁しているのです。

「苦労してきた人は人間が出来ている」
性善説に立って人をみるとき、しばしばこのような言動を私たちはします。

しかし、そうとも言い切れない場合があるように私は感じます。
私が率直に感じているのは

A)自分がしてきて苦労を他人に味あわせたくないタイプの人
B)自分体験した屈辱を、他人にも味あわせ、他人が苦しむさまを見て溜飲を下げたいタイプの人

の二種類がいるのではないか。という事です。
そして、この分析には続きがあります。

Bのタイプの人は、自己憐憫を身にまとい、Aのタイプの人の弱み(人の苦労を自分が肩代わりしてやりたいという情の厚さ、涙もろさ)を上手に嗅ぎ分け、そこを丁寧に刺激し、懐に入り込むのです。
そして寄生し、恩を極限まで吸い取り…裏切って逃げるのです。

もちろん、逃げる時には被害者を装います。

悪を楽しむ心の奥には、自分が被害者でありつづけたい。被害者であると同時に正義の番人でありたい。相手を罰したい。傷つけたい。
傷つき追い詰められて崩壊していくターゲットを鑑賞することで、溜飲を下げたい。

…自分は被害者ではなく加害者であると認めたくない…という卑劣な考えが横たわっているように思うのです。

我々密教僧の役目とは、そのターゲットになっている方を助け、そのような被害・加害のサイクルを崩壊させることではないか…と考えます。




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仏空也上人 金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝 師僧

→調べ物をして検索で見つけたサイトがご縁で、永作先生に出会いました。
「学びなさい」「私についてきなさい」の言葉が黍団子!?となって、祈祷僧への道をまっしぐら。
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by jiyuu-fudou | 2017-04-02 09:00 | 慈優からの手紙

金剛山赤不動明王院 後藤慈優~2015.3.03真澄心理開発研究所を立ち上げました。


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