ごらんよ、空の鳥

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既にこれまで何度もブログで書いておりますが、私はカソリックの学校で教育を受けました。
キリスト教徒ではありません。

将来翻訳家か通訳になりたくて、英語が勉強出来る国際的な環境の学校で学びたかったのです。
中学時代の話です。

入って早速落ちこぼれ、英語の時間はほぼ立って受けました。
先生の質問に即答できないと「しばらく立っとれ!!」と冷徹な目で叱り飛ばされるような教育でした。
私はストレスで心身症になりました@症状としては、常に尿意にさいなまれる頻尿症という奴で、これは今に至ります。

まあ、そんなこんなで精神的に非常に病んでいた中学高校時代、私の心に光を射した曲がいくつかありまして…。
ロックンロール以外で響いたのが、こちらの賛美歌です。



何かが出来るから価値がある。
何かの能力があるから大切にされる。

あるから良い、ないからダメ。
そんな価値観に自分は裁かれ、侮辱され、踏み台にされていると被害者意識を募らせ、死にたい死にたいと思っていた思春期。
こんな体の自分は、一生誰とも付き合えないし、結婚も出来ないとあきらめました。

事実、内科、泌尿器科、精神科、心療内科と渡り歩き、『このままじゃあんた、結婚できないよ』とも言われたことがあります。
わー、なんて毒だ。

私、それからやけのように色々~したり、~したり、~したりして呪いの言葉を払しょくしようと、更に自分を傷つけ、人間不信になりました。
その果てにボロボロになって、『いや、一番自分を傷つけて侮辱していたのは、ほかならぬ自分自身だ』と気づきました。

賛美歌はそこまで押しつけがましくはありません。
あくまで当時の自分の気づきというか、自己解放のおしるしでした。

今また厳しい密教の道に入りました。
仏門に入る前、とある尼僧さまから『この道は厳しい。本来ならあなたにおめでとう。と言ってあげるべきなのだろうけど、ごめんなさい。私には言えない。
神仏に愛されるという事は、女の幸せを、喜びを捨てることになるのだから』と言われました。

そしてそれをきっかけに、その方とのご縁は切れました。
他にもいろいろと人間関係が終わりました。

また、何度も何度も私は足をすくわれ、裏切られ、捨てられ、踏みにじられ、困窮し、孤独を味わうのでしょう。

でも、自分は自分以上の何物でもないし、それ以下でもありません。
そのとき、私を上から見下すのでもなく、下から無防備に取り縋られるのでもなく、同じ方向を向いて駆けていく人がいるのなら。

その人は私にとって大切な相棒です。

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ご本尊さまは私に「ついておいで」と仰いました。

賛美歌を紹介しながら、不動明王の話で恐縮ですが…。

人を信じるのも、神仏を信じるのも、すべて自由意志です。
捨てるのも捨てられるのも、捉え方の自由です。


そして私は慈優です←最後にユーモアです。

by jiyuu-fudou | 2017-03-18 09:00 | 慈優のささやかな毎日

金剛山赤不動明王院 後藤慈優~2015.3.03真澄心理開発研究所を立ち上げました。


by 後藤慈優
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