心中常に喜神を含む

うちの母方の亡祖父は、安岡正篤先生に師事していたそうです。
生前、祖父の書架から何冊か本を借りて読み、グイグイ引き込まれました。

そんな私が可愛かったのか、祖父は私に安岡先生の日めくりをくれました。
日めくりですが、カレンダーではありません。
数字と言葉が書いてあるだけのものです。

我が家ではそれをトイレに掛けていたので、あろうことか私が子供の頃の安岡先生のあだ名は『トイレの先生』でした。
ああ、なんて罰当たりな。

今は台所にも掛かっております。
今では『台所の先生』ですm(__)m

生家では居間に小泉八雲のポスターが貼ってあり、子どもの頃は「へるんさん」として当たり前に過ごしてきたので、学校に上がるまで、まさかこの横顔の西洋人が世界的にすごい人だとは思いもしませんでした。
当たり前に日常会話の中に出てきた、あの「へるんさん」がまさか…みたいな。

生活の中に偉人がいるという生活は、ある意味感覚的なマヒを子供に起こさせますよ(笑)


閑話休題。
大人になってから、改めて安岡先生の言葉に触れると、若かりし頃にはうっかり読み飛ばしていた文章が琴線に触れます。
また、同時に最初に読んだときに響いた言葉も、懐かしく思い起こさせられます。

優れた書物とは、一度読んだだけで完了ではなく、自分の成長と共に違う深みや喜びを与えてくれるものですね。

今は便利な世の中になりましたが、ネットで拾える情報だけではなく、時には時間を態々作ってでも、紙媒体の本を手に取って読むことも大切だと私は思います。
私みたいに「ああ、15分だけちょっと横になりたい」と炬燵で横になると、うっかり1時間くらい爆睡してしまう怠け者はいけませんね。

最近私が、噛み締め、味わっている言葉を紹介致します。

【 心中常に喜神を含む 】
どんなに苦しいことに遭っても、心のどこか奥の方に喜びを持つ。

【 心中常に絶えず感謝の念を含む 】
有り難いという気持を絶えず持つ。何かにつけて感謝感恩の気持を持つ。

【 常に陰徳を志す 】
絶えず人知れず善いことをする。
良心が満足するようなことを大なり小なりやると、常に喜神を含むことができる。

【 壷中天あり 】
人間はどんな境地にあっても、自分の内面世界はつくり得る。
いかなる壷中に天を持つかによって人の風格が決まる。

どんな立場に立たされようと、それに心を左右されることなく、心の奥深くに常に喜びの心を持つ。
その心で現実に向かっていけば、どのような状況でも打破できないことはない。
そして道が開けていくものである。
これこそが人生の極意。

と安岡先生は説いておられます。

私はいち僧侶として、その心の奥底にいつも燃えている消えない喜びの焔の源が、信仰です。
何度かこのブログの中でも「信仰とは神仏と自分との間の個人的なものだ」と発信していますが、その大元にはこの「喜神」の言葉がありました。

心に仏を描くとき、これらの言葉が全て矛盾なく私の中で納まります。
ですから、信仰とは他から強制的に従わされるものでも、洗脳されるものでも、本来はないのです。

b0359542_18263436.jpg

六中観(りくちゅうかん)
陽明学者であり、昭和史の黒幕と言われた安岡正篤の座右の銘。
安岡は著作で「私は平生ひそかにこの観をなして、いかなる場合も決して絶望したり、 仕事に負けたり、屈託したり、精神的空虚に陥らないように心がけている。」と述べる。


一、忙中閑あり 「ただの閑は退屈でしかない。ただの忙は文字通り心を亡ぼすばかりである。真の閑は忙中にある。忙中に閑あって始めて生きる」

二、苦中楽あり 「いかなる苦にも楽がある。貧といえども苦しいばかりではない。貧は貧なりに楽もある」

三、死中活あり 「死地に入って活路が開け、全身全霊をうちこんでこそ何ものかを永遠に残すのである。のらくらと五十年七十年を送って何の生ぞや」

四、壷中天あり 「世俗生活の中にある独自の別天地をいう」 (後漢書)

五、意中人あり 「常に心の中に人物を持つ。或いは私淑する偉人を、また要路に推薦し得る人材をここというように、あらゆる場合の人材の用意」

六、腹中書あり 「目にとめたとか、頭の中のかすような知識ではなく、 腹の中に納まっておる哲学のことである」

Wikipediaより引用

私はこの修行生活を通じて、改めて四の壷中天あり。のに自由に想いを巡らせてみせました。
世俗生活の中の、世俗生活の中にある独自の別天地とは、何処に存在するのか?

それは自分の心の中に他ならないと私は考えます。

その別天地を誰か他人がくれるものではないし、用意してくれるものでもありません。
自分で耕し(これが学び)、整え(体験)、作り上げていかねばその世界は手に入りません。

師僧はごくシンプルにいつも「學びなさい」「學ぶも學ばぬもすべては自由意志である」としか言わず、決して甘やかすようなことはしません。
ですから考えるつもりがない人には「意味不明」でしょう。
全ては自助努力あるのみです。

自分にとっての喜びを見出すための苦しみも、また成長の為には必要ではないでしょうか。

ですが、自らの過去に學んでも限界があります。
そのとっかかりとして良書は非常に有益なのです。

個人的に私は安岡正篤先生の書をご推薦申し上げます。


真澄心理開発研究所メニュー
お守り御守り・塗香など
B34ご仏徳入りブレンドアロマオイル
蓮香りの処方箋 あなただけの香りをオーダーメイドしませんか?
メニュー無料メールマガジン 過去も変えられる!カウンセリング手帳 
masumi.shinri@gmail.com
 Instagram
真澄心理開発研究所オーダーフォーム

仏空也上人 金剛山赤不動明王院 院主 永作優三輝 師僧

→調べ物をして検索で見つけたサイトがご縁で、永作先生に出会いました。
「学びなさい」「私についてきなさい」の言葉が黍団子!?となって、祈祷僧への道をまっしぐら。
先生の言葉をメルマガやこのブログで配信するのも、私の現在の仕事のひとつです。

霊視相談など
不動明王の結縁ワーク
愛染明王の結縁ワーク
密教瞑想法

【無料メールマガジン】今日から実践!暮らしに活かす密教の智慧


蓮仏さまの香り(アンシェントメモリー・オイル使用)ご提供の慈連さん

→わたくし慈有は、2016.05.01メモリーオイル事業を慈連さんへ全託致しました。
慈連さんは私が全幅の信頼を寄せているメモリーオイルのお弟子さんです。
一から切り開いてきた事業を、安心して任せられるのは慈連さんだけです。深謝。

彼女のご本業は施術人呼んで「霊感マッサージ」
優しくお客様の身体に触れるだけで、その方がどんな人生を歩んでいらしたのか、何に悩んでいらっしゃるのか、お体の調子のどこが優れないのかはもろちんのこと、何かよくない存在が憑依していたら、そのことすらわかってしまいます。
現在、仏道修行中の彼女のサロンはまるでお堂のよう。
清浄なる結界が張られた空間で、極上の癒しのひとときをお過ごし下さい。

[PR]
by jiyuu-fudou | 2017-02-22 12:00 | 慈優からの手紙

金剛山赤不動明王院 後藤慈優~2015.3.03真澄心理開発研究所を立ち上げました。


by 後藤慈優
プロフィールを見る