能除汚穢~よく汚れを除く

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私の好きなお経『香偈(こうげ)』毎日唱えています。
護身法もそうですが、やはり、意味を知って味わいながら大切に唱えるのと、毎日やることだから流れで…というのとではまるで違いますね。

願我身浄如香炉    
願わくは私の身が香を焚く炉のように浄らかでありますように

願我心如智慧火
願わくは私の心が智慧の火によって照らされ、愚痴の闇が取り払われますように

念々焚焼戒定香    
日々戒めを守り、心静かに保ちて香を焚くならば、煩悩罪汚れは焼き払われるのです

供養十方三世仏
今ここに、過去現在未来のすべての仏さまに心からの供養をいたします

香りは、自分を楽しませる為に用いることももちろん良いのですが、お供物であるということが改めて伝わってきます。

また同じ話をしますが、私が以前拝読したブログに「香炉は仏さまの口であると思え」と教えられた小僧さんの話がありました。
この香偈では、「わたしの身」が香炉のように清らかであるように…と祈られています。
香炉=御仏の口。ということは、香炉は御仏であり、「わたし」の身体でもあると。

だから道具を汚して平気であるものが、自らの心を律し、清らかに保つことなどできようはずがありません。
下座行が一番最初にあるのも納得です。

元来、全ては清らかで汚れがない。
これは六根清浄大祓祝詞とも相通じますね。

本来清らかで穢れがないものが、なぜ汚れるのか。
それについては、また心静かに内観を深めて参ります。

立派な法具をそろえるのも、コレクター趣味や虚栄心を満足させるためではないのです。
「いま私に用意できる最善のものをそろえました。どうぞ御遣いください」というもてなしの一環なのだと気づかされます。

大切に思っております。
尊敬致しております。

その想いを伝えるための言語として、仏さまに関わるお道具や香は存在しているのではないか、と私は感じています。

仏法僧という言葉があります。
僧が宝であるならば、僧もまた供物。
仏の御前に額づくものとして、少しでも相応しくなれるよう、香りで浄化して頂いているようにも思いました。
あくまで私見です。

そのお下がり・お余り・お裾分けを頂くひとときは、雑念のない静かな時間を保ちたいものです。

孤独は悪いものではありません。
ひとりの時間があるのも悪いものではありません。


合掌

慈有


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by jiyuu-fudou | 2017-02-06 15:00 | 慈優からの手紙

金剛山赤不動明王院 後藤慈優~2015.3.03真澄心理開発研究所を立ち上げました。


by 後藤慈優
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